こんにちは。フリーランス3年目のらっこです。
タイトルの通り、突然ですが、しばらく休職モードに入ります。
なんとなく最近「仕事のふんばりが効かないな」って思ってました。ここ1か月は、ブログを書く気力も湧かない日が続いていたんです。
1か月前にChatGPTの有料版を契約して、毎日の振り返りにつき合ってもらってきました。AIは良いです。内省の壁打ち相手に超おすすめ。
毎日の振り返りを重ねているうちに、私、思っているよりもだいぶ心が疲れているらしいと自覚しました。
フリーランスになってから2年半、けっこう無理してきたみたいです。
改めて考えてみると、確かに、私にしてみると走り続けてきた自覚はある。
でも、この2年半にまったく後悔はありません。いま過去に戻ったとしても私は同じことをするだろうなと思います。
そのときそのときでベストは尽くしてきたし、これまで関わってきた人、仕事をさせてもらってきた人には感謝しかありません。これからもご一緒できたらうれしいです。
でも、振り返ってみて「ああ、あのときは明らかにキャパオーバーだったな」と感じる出来事が3つありました。
いまから書くことを「人はこういうふうに無理をすると心が疲れるんだ」っていう例として読んでいただけると幸いです。
夫が適応障害になって休職した
フリーランスになって2ヶ月目のこと。夫が突然、倒れました。過労でした。
2週間ほど死んだように眠る日々を過ごして回復し、会社に戻ったものの、頭がまわらないことが多くて…上司と相談した結果、病院を受診することに。
診断結果は「適応障害」でした。
結果から言うと、夫は10か月ほど休職しました。会社で許されるギリギリまで休みました。
いまは復職して1年半が経ちます。まだ定期的な受診と内服は続けていますが、だいぶコントロールできるようになってきました。
…と書けるのは、すべて過去のことだからです。時計を巻き戻してみましょう。夫が倒れたあの日に。
あれは雨の降る冬の日でした。深夜11時頃、突然、部屋の向こうでバタン!という音がしました。駆け寄ってみると夫が頭から血を流して倒れています。意識はありません。
心臓が止まるかと思いました。肩を叩いて声をかけたら意識はすぐ戻ったのですが、ちょっと普通の状態ではありません。
慌てて救急車を呼んで、脳外科のある病院に連れていかれました。
救急車に乗ったときには意識があったので、救急隊員さんから「奥さんはついていかなくて大丈夫」と言われたのですが…
救急車の中で自分の名前も思い出せなくなっていることがわかり、「自力で家に帰れるかわからないので迎えに来てください」と電話がかかってきました。どういう状況よ。漫画か!?
深夜0時過ぎ、熟睡していた息子と娘を起こして、雨の中、タクシーで病院に向かいました。
血が出ていたのは倒れたときに眼鏡が刺さったためでした。眉毛のところを何針か縫う程度で済みましたが、眼鏡が当たったのが目だったり別の深刻な場所だったらと思うと、いまでも心臓がキュウっとなります。
何時間かすると名前も思い出すことができたし、その日のうちに家に帰ってくることもできました。その後も何度か病院には行きましたが、検査の結果、脳の病気などでもなくホッとしたのを覚えています。
ただこの日、倒れたことをきっかけに、夫の長年の無理がぶわーっと出てきた感じで。適応障害ということでしばらく休むことになりました。
お医者さんのすすめで、最初の3か月はとにかく休むことを徹底していました。ちゃんと寝る、朝日を浴びながら散歩する、しっかり食べる、など。
文字を読むのがしんどいため読書をすることもできず、ただただ日々を過ごすような感じです。
…そんな夫を見ていたフリーランス2か月目の私。どう考えたと思いますか?
これは、私が稼ぐしかないなと思いました。
夫がいつまで休もうとも「大丈夫だよ」と笑って言える妻にならなければならないと思ったんです。誰に言われたわけでもなく、本能的に。
だから死に物狂いで働きました。
当時の私はフリーランスになって2か月。ピヨピヨのひよこ状態でした。まだ私自身が個人で通用するかどうかもわからない不安でいっぱいな状態だったけど、そんなこと言ってられない状況になりました。
家庭を支えなければいけない。しかも休職中の夫を追い詰めないように、笑顔で、穏やかに。
そんなプレッシャーを抱えながら、いただける仕事はすべてありがたいと思って、なんでもやりました。
そんな状態で日々を駆け抜けている私に、さらなる試練が襲ってきます。
親戚のお世話をしないといけない事態が勃発
夫が休職になってわりとすぐに、親戚のお世話をしないといけない状態になりました。
身寄りがなく血縁的にいちばん近いのが私という関係性です。これは詳細は書けないのですが、役所から連絡があり「親戚なんだからお世話してください」と言われました。
私わりと真面目な性格なので、確かに血はつながっているからサポートしなければと思ってずっと対応していたんだけど、ずっとモヤモヤしていました。
なぜ私が??人生でこの人のお世話になったことないんですけど??という葛藤でいっぱいでした。
この時期の私、血縁ってなんなんだろう?と思っていました。
なぜ恵まれた家の人は「親やきょうだいから助けてもらえる」のに、私には両親がいないどころか、私のことを助けてもくれない親戚のお世話をしないといけないのか?呪われてるの?
血がつながっているのに困っている人を助けないのは薄情なのかな。人間としておかしいのかな。
私だって、いっぱいいっぱいなのに。私のことを助けてくれる人はどこにいるの?なんでいないの?なんで私ばっかり?と、ずっと思っていました。
家庭のために仕事を増やしながら、休職中の夫と小さい子ども達を抱えながら、謎の親戚のお世話もするという状況が私には超つらかったです。逃げ場がありませんでした。
身体もしんどかったけど、心がしんどかった。私の心も壊れてしまいそうで怖くて、でも壊れるわけにはいかなかったので、必死に心理学の本などを読んで持ちこたえようとしました。
いまは、状況はあまり変わっていないけど、役所の担当の人が変わって楽になりました。
新しい人は、前の人のように「血がつながってるなら当然でしょ」というトーンで接してこない人で「あなたには断る権利もあります」と言ってくれる人でした。
新しい担当の人のコメントが私にはすごくありがたかったんですよね。「そうか、私は断ってもいいんだ」って思えたことは救いでした。
その言葉をもらってからの私は、その親戚への関わりを、義務感から、なにか少し違うものに変えることができました。
自分のなかで「人としてここまではやろう」と思えるレベルでの関わりに切り替える決意ができたんです。これはひとつの変化で、呪いからの解放でもありました。
いま「呪い」という単語を使いましたが、ほんとに、この言葉がふさわしいと思っています。
私は小さい頃からずっと「優秀でしっかりしているのは当たり前で、そのうえで誰かのサポートをするのも当然」という声かけをいろんな人からされてきたんです。
その声が、ずっと呪いの鎖のように私に絡みついています。
私は私の人生を生きたいし、自分の気持ちを大切にしたいのに、それをしてはいけない気がしてしまうという呪いにかかってる感じ。
20年以上かけて刷り込まれた価値観というのは怖いです。思考の中にしみ込んでいて、なかなか離れない。
いまは必死にその呪いの声と戦いながら、自分の気持ちを大切にできるように頑張っている最中です。
この出来事もしんどかったけど、育った環境や声かけによる呪いを断ち切ろうと向き合えたこと。少し変われたことも大きな成長だと思っています。
この呪いは、人生のどこかで向き合わないといけないことでもあったはず。「おい、いまかよ!」って感じではあったけど、私にとっては必要なタイミングだったんだと思います。
そんなわけで、まだフリーランス1年目の私、夫の休職と謎の親戚のお世話で…ボロボロでした。
夫の休職はわりとオープンにしていたけど、ほかにも苦しいことが重なっていたことは誰にも言っていないです。ブログに書いたのも今日が初めて。
この頃「自分の過去の呪いを解かねば」と思って参加したのがROOTSというプログラムです。
いろいろと本も読んだけど、私の過去は、ひとりでは抱えきれない重さだなと感じたので、ほかの人もいる場所を選びました。
このプログラムでの学びはとても大きかったです。学びが大きすぎて、受講が終わって1年が経っても、いまだに言葉にするのが難しいのですが…人生のとらえ方を変えるきっかけになりました。
ROOTSのことは、もう少し自分の中できちんと言葉になったら、いつか書きます。
経験上、しみじみ思っていることがあります。心が壊れるわけにいかないときって、人はわりと耐えられるものなんですよね。
その瞬間は馬力で耐えられるんだけど「いまは緩んでもいいな」って、ふっと気が緩んだときにドーンとくる。
いまの私は、その蓄積してきた疲れがドーンと出てきているということなんだと思います。
最後、3つめ。
子どものスポーツの役員をやることになった
これは去年の出来事なのでわりと最近。フリーランス3年目になってからです。
ある日、なんの前触れもなく、突然、子どものスポーツの役員として100名超の規模の組織をまとめることになりました。これがね、まー、しんどいです。まだ現在進行形で続いてるんですけど。
ボランティアなので、ビジネスのように「まあ、お金もらってるから」では割り切れないんですよね。私はそこがしんどかった。
過去形で書いたのは、この苦しみを抜け出すためにこの半年ほんとに必死にもがいてきて、いまは少し光が見えてきた状態だからです。
去年の秋から「コンパッション」という概念を学び始めて、だいぶ生きやすくなってきました。
辛さはいろいろあったけど、いちばん辛かったのは、人生でこんなに人を嫌いになったことないっていうレベルで嫌いな人の指示に従わないといけないことでした。
最初はもう、ただただ屈辱だと感じていました。ああ、あの頃はしんどかったなあ…(遠い目)
でも子どものためにはやめられないっていう状況もあって…「なんとか任期の1年を生き延びるための方法を身につけねば!」と思って掴んだのがコンパッションでした。
(コンパッションの話は、またどこか別できちんとしたいと思うので、ここでは単語を出すだけで失礼します。)
いまは、まだ波はあるけど、その人生で一番嫌いな人のことも受け入れることができるようになってきました。
私と同じくらいその人のことを嫌っている夫にアドバイスできるくらいの心の余裕も生まれました。
それ以外にも、役員という大変な経験をしたからこそ気づけたこともたくさんあって、人生の転機となる経験だろうなと思っています。
人をまとめるということは本当にパワーのかかることで、そのぶんの学びがあることなんだと感じています。
と、綺麗にまとめようとしたけど、この半年超を振り返ってみると、しんどさ98%、感動が2%くらいの体感。
しんど!!!!!!
できれば、やりたくなかったです。
やらざるを得なかったから、意味を見つけるしかなくて、なにかを学びとろうとすることでしか耐えられなかったというのが正しいです。
だけど、この経験のおかげで成長できた部分は確実にあるなと思っています。「子どものためにやめられない」という条件がなければ普通に逃げてたと思うなあ。
役員の任期はあと半年。毎日いろいろあって本当にヘトヘトだけど、なんとか乗り切りたいと思います。
フリーランスになってからの2年半、それ以外にもいろいろありましたが、いちばん大きかったのは挙げてきた3つです。
・夫の休職
・謎の親戚のお世話
・子どものスポーツの役員
こうして振り返ってみると、そのときどきで、けっこう無理していました。
この3つに共通していたのは、しんどいけど、乗り越えなければいけない状況だったこと。
「乗り越えなければいけない」と自分に言い聞かせてきたこと。
ここにプラスで「しくじったら自分の仕事を失うかも」「案件を得続けなければならない」っていうフリーランス独特の責任とプレッシャーが加わるわけです。
その重圧も、じりじりと私を苦しめていました。フリーランス1~2年目は、ずっと体調を崩しがちだったしね。あれはプレッシャーだったと、いまなら思う。
会社員を簡単だというつもりはないですよ。会社員には会社員の大変さがあります。けど、よっぽどのことがなければ仕事を失うことはないっていう絶対的な安心感はあった。
その点フリーランスは自由を選ぶ代わりに責任を負っているので、働き方の重圧の種類が違うんですよね。
この2年半で見つけた自分の強み
私は会社員を辞めるときにお世辞にも「〇〇のプロ」とは言えない状態でした。案件も決まってないのに辞めました。
複数人のフリーランスの先輩に「案件も決まってないうちに辞めるのはやめとけ」と言われました。でも、勢いで辞めました。笑
どうしても会社員を辞めたかったから。
そんな私が当時できた唯一のことは「覚悟を決めること」だけだったんです。
「どうやって生きていくかはわからないけど、個人で生きていくぞ!」という覚悟だけを持って辞めました。
だから声をかけていただければなんでもやったし、なにをすれば自分が生き残れるのかを必死に見つけようとしました。
結果として、
・フリーランスになってもなんとか生きていける
・やりようでは会社員時代よりも稼げる(でも大変ではある)
という感覚をつかむことができました。
会社に属さなくても生きていける感覚を身につけられたことは最大の収穫だったと思います。
なんのプロとして生きていくかは、仮決めしたばかりですが…いちおう見つかりました。
いまは、ベースとなる「プロジェクトマネジメント」のスキルに、3つの得意要素を掛け合わせて独自性を出していく方向で生き延びようと考えています。
詳細はもう少しまとまったらnoteのメンバーシップにでも書こうと思っているので、よかったら覗いてください。
ここまで見つけられただけでも、この2年半に価値値はあっただろう、と思います。
…でね。今週、この方向性を決めた瞬間に、心の糸が切れたのよ。ぷつっと。
この「なんのプロを目指すのか」を、走り続けながらずっと考え続けてきたことが、知らないうちにけっこう心を疲れさせていたみたい。
今年の1月に、ひとつのプレッシャー大きめな契約が終わりまして。契約が終わって悲しいはずなのに内心ほっとするくらい緊張していた案件でした。
でね、2月から「少し手があいたから、これまでやりたかったけどやれなかったことをやろう。本を作ったりとか」なんて思っていたんです。
でも実態としては、読むのを楽しみにしていた積ん読本も読めなくなって、書くことが生きがいなのにブログやnoteを書く気力もない感じの日が増えていきました。
でもそれでも、ずっと怠けているわけにもいかないからと焦って焦って…気力を振り絞って、
この2年半で私は何を見つけたのか、これから「なんのプロ」として生きていくのか?を考えまくりました。
で、上記の仮の答えを出した瞬間に、心のエネルギーが切れた。びっくりするほどに切れた。自分でわかるほどに。
そこまでいって「そうか、私は疲れていたんだね…」と、ようやく心から認めてあげられました。
そんな1日、2日ほど休んだくらいでは癒えないくらいに、ずっと自分を追い詰めてきたんだと思います。
たぶんフリーランスになってからずっと「お前は何者なんだ?」「これからどうやって生きていくんだ?」って自分に問い続けてきたんだよね。自覚あります。
そりゃあ、疲れるよね。エネルギーも切れるよね。そんなことを思っている今日この頃です。
でも…仮にでも方向性を決められて、すっきりした感じが強いです。答えを出せたことがうれしい。ずっと苦しかったから。
これから、どうする?
いまは初夏までの契約はあるので、今日明日ですべての案件が終わるという感じではないです。
タイトルで「休職」とは書きましたが、完全に仕事をしなくなるわけではありません。自分の代わりはいないのがフリーランスというもの。
すでに決まっているぶんのお仕事はやります。でも、それ以外はしばらくセーブしようかな、と思っています。それがいまの私にとっての「休職」。
この決断によって、しばらくはパート程度の収入になります。けど、いまはそれでいいかな、と思う。
貯金の額とかは気にせず、しっかり休もうと思う。未来の私がなんとかするはず(←こう思えるようになったのも進歩!)
39年ほど生きてきた私の傾向からいくと、十分に休んだと心が感じたら、また内側からなにかメラメラと湧き始めると思うので、そのときをじっくり待ちます。
感覚からいくと、1、2か月で回復しそうかなあとは思いつつ、あまり期限を決めずにいこうかなと思います。焦らずに。
繰り返しになるけど、この2年半に後悔はありません。改めて書いてみて、いま過去に戻ったとしても私は同じことをするだろうと思います。
でも当時の私にはキャパオーバーでした。そこを認めて受け止めたいと思います。いまはしっかり休もう。そして次のステップに行こう、という感じです。
(仮)の状態ではあるけど、これからの自分の進む道が見えたのもよかったです。まあそれをひねり出したから燃え尽きたのかもしれないけど。笑
ということで、長くなりましたが、近況報告です。ここまで読んでくださってありがとうございました。
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