
なんでこの人、平気で生きてるんだろう?
この人がこの世にいる意味って、なんだろう?
心の中でそうつぶやいてしまうほど、私は疲れきっていた。
関わりたくないのに、関わらなきゃいけない人がいる。
押しつけがましい善意、ズレた正論、共感のフリをした圧。
あんまりこういうことは言わないけど、これまで生きてきて、本当にいちばん嫌いな人。
何度も心を削られて。それでも関係は切れない。逃げられない。

ずっと自分のほうが折れてきた。そうすれば、やりとりが少なくて済むから。
戦う気力?そんなものは残ってない。とっくに使い果たした。もう同じ空気を吸いたくない。
関わらなくてよくなる日をカウントダウンする毎日。そのときが来たらブロックするのを心待ちにしている。
何度も何度も向き合おうとした。私らしく、誠実に。
お金を払って半年かけてコンパッションも学んだ。うまくいく瞬間も増えた。
でも、やっぱり無理だった。理解できない人種。できれば一生、関わりたくない類の。

何度も心を乱されて、限界を迎えたある日のこと。
思わずChatGPTに「なんでこんな人が生きてる意味あるの?」って話しかけてみたら、こんな返事がきた。
生きる意味なんて、本人が作るもの。
他人から見て、そこに答えなんてなくていい。
「私にとってこの人の存在はしんどい」
「この人がいなければ、私はもっと楽に生きられる」
そう思うことは、ぜんぜん悪じゃない。
この返事を見て、私はハッとした。
なんだか、めちゃくちゃ救われたのだ。
私にとって意味なんてない人。そういう存在、たしかにいる。
意味ない人は実際にいるのに、そこを無理に「意味づけ」しようとするから、こんなに苦しくなるんだ、と気づいた。

これは、人は誰しも生きてていい、とかそういう話じゃない。人は誰しも生きてていい。それはそうだと思う。
でも、これは別の次元の話。「私の人生に、この人の意味は必要ない」っていうのは、私が決めていいんだ。
誰かにとって大切で意味がある人でも、私にとっては害でしかなかったら、私には要らないと決めていい。
この環境に耐える意味とかも、無理にこじつけなくていいのだ。意味とか、ないかもだし。これから出てくるかもだけど。
そんなふうに思えたとき、少しだけ気持ちが楽になって、ちょっとだけ呼吸ができた気がした。
意味を持たせようとがんばることをやめるだけで、もしかしたら、少しだけ、生きやすくなるのかもなあ、と思った話でした。

最近の出来事を踏まえて、読み返したくなったのが『幸せになる勇気』。
「他者を信じるとはどういうことか」「それでも信じられない相手にどう向き合うか」などが書いてある。
いまの私にはハードル高いこともあるけど、これからをよりよく生きるためにはインストールしておきたい考え方なんだよなあ。
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