
こんにちは。らっこです。
note記事に『の、ような。』という漫画の紹介記事を書いたら「私も大好きです!」という声をちらほらいただいて嬉しくなりました。
ざっくり紹介については、ぜひnoteを読んでください。
ブログでは、せっかくなのでもう少しディープことも書いてみたいと思います。
ネタバレをふんだんに盛り込んでしまうかもしれないけど、ここから先は自己責任?ということで読んでいただけたらと。
最初から手加減せずにめっちゃ深いところまで掘っていくので覚悟してください。(なにを)
読んだことない人にもわかるように書いていこうとは思ってるけど、もしかしたら読んだ人じゃないとわからないかもしれない。そうなったら、ごめんなさい。
まずは、Amazonの紹介文を引用してみる。
それは人生の劇的変化…。一人暮らしの希夏帆の前に恋人・愁人が連れてきた二人の少年。二人は愁人の親戚で両親を失ったばかりの兄弟だという。希夏帆の家で生真面目な中学2年生の冬真、天真爛漫な5歳の春陽、そして愁人の4人は同居生活をすることに。戸惑う日々の中、彼らの新たな関係が始まる――。
主人公は独身女性のキナホ。作家さんで、いつも目の下にクマを作っている。〆切が近くなるとクマが大きく深くなる。笑
なにを書いている人なのかはわからないけど、仕事机の上には付箋がたくさん貼ってある資料を何冊も置いてるので、創作というよりは調べ物をしながら書く感じなのかな、と思う。
皆からは「キナちゃん」と呼ばれている。年齢は正確には描写されてないと思うんだけど、30歳は越えている。40いってるかはわからない。
そのキナホの家に住み着いている同級生の恋人アキトが突然、子ども二人を連れてくる。両親を失ったばかりの子ども達。なんの連絡もなく。
中学2年生のトウマと5歳のハルという年の差きょうだい。雨の日の事故で突然、両親とも失ってしまうって、大変なことだよね。
私は両親とも亡くしてるけど、ひとりずつだったから、まだ心の整理もできたけど。ふたり同時だったら、どうなっていたんだろう。ちょっと想像できない。したくもない。
でも物語の冒頭、おそらくお葬式と思われるシーンに出てくる二人は泣いていない。どちらかというと「どうすればいいんだろう」という感じの、困惑した表情。
周りの親戚はひそひそと「うちでは見られないわ…」的な引き取れない理由を話して、押し付け合ってる。
それを見ていられなかったアキトが「うちにくるか?」的なことを言うわけ。まあ、うちって言っても自分のうちではなくて、転がり込んでいる恋人(キナホ)の家なんだけどね。
そこで見て見ぬふりをできないアキトもいいやつだけど、キナホへの影響とか考えず(いや、考えてないわけではないと思うんだけど、見過ごせない気持ちが勝ったんだと思う)連れてくるという選択。すごいよね。
わりと若くして親を亡くした経験のある人って、もしかしたらお葬式で「いつでもうちを頼りなさい」とか言われたこと、あったりするんじゃないかな。
私は大学生のときに母のお葬式で言われたことがある。とてもお金持ちそうなご家庭なのが雰囲気でわかった。なんの仕事をしてるかは知らないけど。
でも、それはその場限りの話だった。その後、実際に「元気にしてるか?」とか連絡をもらったことはない。一度も。
もしかしたら「助けてください」って言えば助けてくれたのかもしれないけど、たいして仲良くもない親戚の人を頼るとかまではせずに生きてこれたから。ラッキーだった。
でも、あんまり好きじゃなかった。だいぶ後になって私の継母をいじめていたらしいという話を聞いて、シンプルに嫌なやつだなと思った。直感は当たるものだな。
もともと期待もしていなかったけど、様子見してみようとは思った。実際になんにもなかった経験を踏まえて、私は、実母の葬式で自分から「頼ってね」と言ったくせに、一度もなんの連絡もくれなかった大人がいたという事実を心に刻んだ。
そのことだけがきっかけではないけど、大人になった私は「社交辞令は言わない」というのをポリシーにした。
思ってないことは言わない、を徹底している。だから尊敬できない人のことを褒められなくて苦しい。思っていれば言えるけどね。
と、初っ端から盛大に話がそれた。ごめんなさい。
でも、とにかく、そういう「口だけの大人」の存在を思うと、恋人の家にでも子ども達を連れて帰ろうという無謀なことをしたアキトの選択を「あほか」とは思えないのだ。
だから、いいやつだな、と思う。
私がキナホなら、ドアを開けて子ども二人がそこに立っていたら「おい!」とは思うけど。
少し話を冒頭に戻す。子ども達が泣いていなかった、という話については、私なりの考察がある。
もし、両親のうちの片方が亡くなったとしたら。まだそこに片方の親はいる。そういう状況だったら、もしかしたらまずは悲しみが強く襲ってくるかもしれない。
でも、同時に両親とも亡くなってしまうと…
たぶん「そもそもこの先の生活をどうしていけばいいのか」という生き延び方に意識が向くのではないだろうか、と思う。
5歳のハルはまだよくわかっていない感じで、中2のトウマはすべてを理解したうえで、アキトの恋人ではあるが妻ではないキナホのお世話になっていいのかという躊躇いはあったように思う。
でもキナホは(〆切に追われながらも)こう言うのだ。
ま、〆切よりも子供の生活はまったなしよね
今ここ追い出されたら あの子たち厳しすぎるでしょ
懐が深すぎる…
でもキナホは変にハードルを上げないバランス感覚も持っている。無意識だろうけど。
最初にはっきりこうも言ったのだ。
親みたいな事ちゃんとできないかも…というかムリだと思うから それなりに そこそこなんとかする
私も少しずつ一緒の生活慣れるから お互いがんばろー
中2のトウマは「変な大人…」と思うけど、サバサバしていて素直に発言するキナホの言葉のおかげで初期を乗り越えられた部分が多々あったのではないかと思う。
その後トウマが初めて泣いたのは、キナホがトウマの母親のレシピを再現したとき。わざわざ親戚にレシピを聞きに行ったんだけど、忙しい中でそこまでやってあげる姿勢、すごいな…と思ってしまった。
ストーリーは、5歳のハルの通う幼稚園にいるいろんな人の話、トウマの中学校の友達の話。アキトの会社の話など、身の回りの人達との関係の中で進んでいく。
最初は「嫌なやつ…」って思うような人も、実は若くて他人との関わり方を知らないだけだったり、
めっちゃ厳しいおばあさん…って思う人も、キツく見られてしまいがちなだけで聞く耳を持たないような人でもなかったり。
物語が進んでくると、両親を事故に合わせた人の親戚も出てきて、ちょっと重い展開になる。
実社会はこんなにいい人ばかりではないだろうな…とか思ってしまうような展開もあったりはするけど、それよりも「こういう社会であってほしい」と感じることの方が多い。
noteにも書いたけど、私は最新巻を読み終わった後に、ちょっとだけ部屋を掃除した。
キナホは〆切前は部屋がすごいことになっているけど、そうじゃないときは余分なものが何も置かれていないような綺麗な部屋で過ごしていて、「なんか、いいなあ」と思ったのだ。
といいつつ、いまも私の横にはプリントがわさわさと積まれていて、目の前にはさっき子ども達が飲んだ麦茶のコップがおいてある。すぐ片付ける気力もないくせに、ブログは書いている、私はそんな女。笑
でもこの漫画を読んでいると、それぞれに良さがあり、悪さもあり、でもお互いがお互いを思い合えば補うことができるってことがわかる。
そして人はびっくりするほどに変われる、というのもわかる。
仕事人間で、預かってきた子ども達をキナホに押し付けまくっていたアキトが、収入を犠牲にしてでも定時で上がれる部署に異動して、家に帰る。他人が三人住んでいる家に。それって、なんかちょっと、すごいよね。
でもアキトみたいなタイプは、もしかしたら自分の子どもだったらこんなふうに変わらなかったんじゃないかな、とも思う。なんとなくだけどね。
自分が勝手に預かってきた子ども達を、妻でもない恋人のキナホが身を削りながらも淡々と育てている様子を見て、会社の子のコメントとかも聞きながら、少しずつ気づき、変わっていく。
自分で気づくというステップを踏んでいるから人は変われるんだな、とも思う。そう、人が変わるには「自分で気づく」が必要なんだな。
そんなことを思った今日この頃です。
本当に面白い漫画なので、ぜひ読んでみてください!
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