人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話⑩

仕事

こんにちは。時短ワーママのらっこです。

前回からの続きです。

ここまでの話はこんな感じです。

①いい大学を出ていい会社に入れば幸せになれると思ってたけど全然そんなことなかった件

②20代で両親を失ったときの話

③2社目で初めて「仕事って楽しい」と思えた話

④ワンオペワーママ生活がしんどすぎた時代

⑤念願の二人目を流産したときの話

⑥時短希望での転職活動を始めてみたものの難航しまくった話

⑦コネを頼って転職できるかなと期待したけどそんな甘くなかった話

⑧ひどい言われようだったけど、なんとか転職先を見つけるまでの話

⑨零細ベンチャーでの仕事に翻弄されてもがき苦しむ様子

今回もめちゃ長です。

お時間のあるときにでもお付き合いいただけたらうれしいです。

——

目の前のことに忙殺される毎日、サービス残業、減った給料など、モヤモヤした気持ちを抱えながら働き続けていた私。

入社して半年くらい経った頃に、胸のあたりにドクドクと激痛が走るようになりました。

朝は平気なんだけど、夕方くらいになってくると胸の下の方が痛い。

痛いというか熱い?ドクドクと熱いものが流れ出してくるような痛みを感じるようになりました。

体の異変には早くに気がついていましたが、とにかく仕事が忙しくて病院に行っている暇がない。

イベントの準備などもあって毎日深夜まで持ち帰って残業する日々が続きました。

ある日曜日。夫に息子を託してやむを得ず休日出勤をしていたら、夕方になってまた同じ胸の痛みが。

それまでは気にしないように努めていたけど、母を早くに亡くしていることを急に思い出して急に怖くなり夜間の病院に駆け込みました。

CTまで撮ってもらいましたが特に異常は見当たらないそうで、症状が続くようなら婦人科か消化器科に行ってくださいとのこと。

次の平日に職場に事情を話し、午前中に少し抜けさせてもらって消化器内科を受診したところ、ストレスによる胃酸過多と診断されました。

そこから胃酸が出るのを抑えるお薬を3ヶ月ほど飲みました(今は症状はおさまっています。疲れたときなどはたまに痛いけど)

当時は理由がわかってホッとした反面、不安にもなりました。

たしかに仕事は忙しかったけど、もっと忙しい仕事も過去にはしてきたし、ストレスもそこまで抱え込んでいた自覚がなかったからです。

先生曰く「歳をとったということですよ」とのこと。

このときの私は33歳。

まあ確かに若くはないよなあ、、としみじみ感じてしまいました。

入社してからずっとがむしゃらに頑張ってきたツケが来たのかもしれません。

それに死産してからすぐに会社の倒産危機の話を聞いたので、子を失った悲しみに浸る間もなく、のんびりと休むこともなくずっと動き続けてきたことが、身体の不調となって現れたのかもしれません。

そういえば入社して半年くらい経った頃、オフィスに誰もいないときに急にいなくなってしまった赤ちゃんのことを思い出して、悲しくなって涙が止まらなくなっていたりしました。

悲しいことがあったときには、しっかり沈んできちんと悲しまないと、後でドーンと来るんだな。

これはこのときに感じた教訓です。

辛いことがあったときには、自分に「大丈夫」と言い聞かせるのではなく、自分が悲しんでいることを受け止めてあげることの大切さを学んだように思います。

さて、お医者さんにストレス性の胃酸過多だと言われた私。

自分はいったい何にそんなにストレスを感じていたのか?

そもそも自分はどんな人間なのか?

なにに幸せを感じて、どんなことは嫌だと思うのか?

ストレスの正体と向き合うために、10年以上ぶりに自己分析をし始めました。

幸せについて知りたくて、いろんな本を読みました。

自分の生きづらさは、自尊心の低さから来ていることは息子を育てる中で色々な本を読んで気づいていました。(のちにHSPという概念を知りました)

私は2人姉弟の長女で、成績優秀な「良い子」であることを周りに望まれ、その通りに生きてきたことは前に書きました。

教育ママであった母の自慢の娘でありたいと努力してきたし、高校・大学・就職と、母の期待に応えるレベルでの結果は残してきました。

けれど今の私に強く残っているのは、褒めてもらえた記憶よりも母が誇れない結果を出したときに「恥ずかしい」と言われた記憶の方です。

今なら「いや、恥ずかしいって何やねん」「私の人生は私のものだ、あなたにとやかく言われたくない」と思えるんですが、、

やはり親に扶養されている時代の子どもにとっては、親の言うことの影響力はとてつもなく大きいんですよね。

私が頑張ったか頑張らなかったかは関係なく、母の期待に応えられたかどうかが大事なんだと、幼少期から刷り込まれていたと思います。

ちなみに私は左利きなんですが、小学生の頃から「恥ずかしいから右利きに直しなさい」と何度も怒られていました。

小学校の先生も「今から無理して直さなくていいと思うよ」と言ってくれたのに、母だけは頑なに「直せ」と言い続けていました。

だから小学校1、2年生くらいのときの私は、毎日泣きながら右手で書く練習をしていたのを覚えています。

(結局、左利きは直らなかったけど、いつのタイミングで母が折れたのかは全く覚えてません)

左利きの何が恥ずかしかったのか、30代半ばの今になってもわかりません。

田舎には意味のわからないルールがあるから、これもその一種なのか、それとも時代なのか、、

母はなかなか個性の強い人でしたし、今でいう毒親っぽいところも多分にあったと思いますが、恨んではいません。

どちらかというと恨んでいるのは母を教育ママにさせた境遇のほうです。

母は3人姉妹の長女でした。

両親は母を溺愛しまくりました。

その結果どんな育て方をしたかと言うと、「挑戦させない」「失敗させない」教育でした。

この育て方が母の人生に大きな影響を及ぼしていきます。

具体例を3つ挙げます。

母には行きたかった高校がありました。県で一番偏差値の高い高校です。

でも母の父親(私の祖父)は、その高校の受験を許しませんでした

理由は「レベルの高い高校に行って、低い順位になったら可哀想だから」とのこと。

高校のレベルをひとつ落として、そこで上位を狙いなさいと母に言ったそうです。

母はその言いつけを守って、県で2番目の高校に行って、常に5位以内をキープし続けたそうです。

大学受験も同じでした。母には学びたい理系の学問がありました。でも父親はそれを許しませんでした。

結局、母はその言いつけを守り、文学部かどこか忘れましたが、行きたくもない大学の行きたくもない学部に推薦で行きました。

就職のときも同じでした。

母にやりたい仕事があったかどうかはわかりません。けど父親がコネで入れる就職先を見つけてきて、母は言いつけ通りにそこに就職しました。

母の人生は親に敷かれたレールの上を歩くだけでした。

挑戦すらさせてもらえず、親の言いなりの人生でした。

高校のくだりとか、ホントひどいなと今でも思います。

一番偏差値の高い高校に行って低い順位でいるよりって、、なんなのそれ。

なんで勝手に決めつけてるの?その高校に行っても上位でいられたかもしれないじゃん。

心配しているように見せかけた侮辱じゃんとすら思います。

なぜ母は反抗しなかったのか?と思う気持ちもあるけれど、超頑固ジジイである祖父を知っている私は、おそらく反抗の余地もなかったんだろうなと推測してます。

「誰に食わせてもらってると思ってるんだ」とか「言うことを聞かないなら出て行け」とか言っていてもおかしくない性格の祖父だし、そういう不毛な議論になることを避けるために母は自己主張すらしなかった可能性もあります。

そのときのことはわからないし、わかる意味もないけど…

ただひとつ言えることは、母は長女として生まれた自分の運命に従い、家に縛られた選択をさせられ続けていたことです。

だから私は物心ついたときから、そんな母の人生のリベンジをするようにと刷り込まれていました。

「母が行きたくても行けなかった県でNo.1の高校に受かること

「大学は自分の行きたい大学を選ぶこと(母が誇らしいレベルの大学の中で)」

「就職も自分のしたい仕事を選ぶこと(母が誇らしいレベルの企業の中で)」

を、繰り返し繰り返し、説かれてきました。

幼い頃の私が、まるでそれが自分の望みであると錯覚するくらいに

結果を言えば、私は母の望みを全て叶えました。

母が行きたくても行けなかった県でNo.1の高校に受かりました。

大学は自分の行きたい学問で日本で一番の偏差値の大学に行きました。

就職も自分が行きたいと思った会社で、誰もが知っている大企業に入りました。

母は、私が母の望みを叶えるたびに本当に嬉しそうでした。実家のある田舎では鼻も高かったと思います。

(田舎では身内が高学歴だったり大企業に就職していると自慢したりします。自分の実績でもないのに)

私は就職先が決まったときに「ああ、これで終わった」とホッとしたのを覚えています。

ようやく解放された、と。

母の望みを叶えるための投資(塾代など)はしてもらえたし、送り迎えなどもしてもらったし、感謝しています。

けど、そんなこんなで22歳まで「人からの評価」ばかりを気にして生きてきた私は、「人からの評価をまったく気にしなくていいときに、自分が本当に心から望んでいることは何か?」というのが完全に分からなくなっていました。

「期待に添えない自分には価値がない」という幼少期からの刷り込みもあります。

「ありのままの自分でいい」という根拠のない自信、つまり自尊心が持てていないから、常に努力し続けていないと不安になります。

無意識のうちに「他人が望んでいること」を汲み取って、その人の望みを叶える行動を取ってしまいます。無理してでも。

ストレス性の胃酸過多という診断についても、言ってしまえば、新しい会社でがむしゃらに働いて勝手に身体を壊しただけなんです。

誰からもやれと言われてない。けどやらないと間に合わなかった。だからやった。仕方なかった。やるしかなかった。

でも本当にそうだったのか?

そこで「間に合わないから手伝ってください」「納期を延ばしてください」が、社内の人に対してすら言えなかったのは、私が勝手に「自分の仕事は自分で終えねば」と思っていただけ。

もっと言えば「仕事が終えられなかった自分の評価が下がるのが怖かったから」だったと思う。

小さい頃から、期待を裏切るたびに厳しい言葉を投げつけられていた私にとっては、期待を裏切るのは最も避けたいことで、怖くてできないことでもあったわけで。

この傾向はマシにはなってきたもののいまだに続いていて、約束を破るってことができないし(やむを得ない場合もあるけどすごく心が痛む)、遅刻もできないし、いついつまでに対応すると自分で言ったのにそれができないのは耐えがたいほど嫌です。

自分の完璧主義(というか人の評価を気にする癖)は幼少期からの声かけのせいだったんだな、としみじみわかったとき、心が軽くなりました。

それと同時に、そういう環境を作った大元である祖父を憎む気持ちも生まれました。

ちなみに祖父とは別件で仲違いをしており、かれこれ数年、法事以外では顔を合わせていません。

他にも継母を追い出したりとか色々あり、祖父とは私の方から一方的に縁を切っています。(詳細はこちらのnoteに書いてます)

ここに来るまで、文章では書ききれないほどの様々な出来事がありました。今のところ許せていませんし、許せる日が来るかどうかもわかりません。

もともと両親が他界したときから実家はないものとして生活していますから、今さら祖父の助けも必要ありません。

意固地になっている部分もあるのかもしれません。

でも血が繋がっているからといって関係を続けないといけないわけでもないし、今は祖父と関わりを持つことが最もストレスなので、まだまだ時間が必要かなと思っています。

思い出話が長くなりました。話を戻します。

さて、そんな自分の「他人の評価が気にしすぎる」という特徴を踏まえて、ストレスの元はなんだったのか?を考えてみました。

一番の理由は「自分のペースで仕事が進められないこと」でした。

会社は常にバタバタしていて、突然仕事が降ってきます。

突然仕事が降ってくるのは過去の会社でもいくらでもあったんだけど、突然降ってくるのは基本的に自分に責任があることが多かったので納得感がありました。

自分がハンドリングしてる案件でトラブルがあったから対応しないといけない。とか、自分のスケジューリングが甘かったとかなら全然気にしません。

自分に責任があるなら責任を持って対応します。深夜であろうと土日であろうと。

ですが新しい会社で突然降ってくることは予想できないことばかりでした。

社長が突然思いついた仕事を今日中にやってと指示してくるとか、先輩が抱え込んでやっていなかった仕事が突然私に渡されるとか、誰がやるか明確になっていなかったけど急いでやらないといけない仕事が突然湧いてくるとか。

しかも常に時間がありません。目の前のことで精一杯なために、仕事が突然発生したときには納期も「なる早最短」なのです。

ゴールを決めて、アウトプットの質を決めて、自分のペースで仕事を進めていきたい自分にとって、急な短納期の仕事が毎日差し込まれるというのは強いストレスでした。

これまで総合職として仕事をしてきたので、アシスタントのようにこき使われることへの心理的な負担もあったかもしれません。

「こんな雑務、これまではやってくれる人がいたのに、全部自分でやるなんて。落ちぶれてしまったな」と思う自分もいました。

それと私が時短勤務で残業ができないと言っているのに(そういう条件で採用されているのに)たびたび「この日残業できないか?」と聞かれるのも辛かったです。

夫に相談してなんとか調整したのに、間近になって「やっぱり残業いいや」と言われたり「残業を別の日に変更できない?」と聞かれたりするのも相当なストレスでした。

今の私なら仕事が常に終っていない状態にも慣れているし、突然仕事が降って沸いてもそこまで動じないし、先読みもある程度できるし、「いやそれを今日中にやるのは無理ですね」とかも言えるのですが、

当時まだ転職したてだった自分には言えませんでした。

やれと言われたことに対して「できない」と言う勇気を持てませんでした。

「できない」ということで評価が下がるのではないかと怖かったし、期待を裏切ることが怖かったのです。

仕事が差し込まれるから、今日予定していた自分が終えたい仕事が終わらない。

でもそれも急ぎだから持ち帰ってやらないといけない。

そんな感じで、果てしない量の仕事を自分で吸収して我慢して我慢して対応していたら、ストレスが身体の異常となって現れてしまいました。

とにかく胃が痛かったので、とりあえず会社に事情を話し、月に1回午前中に抜けて内科で経過観察をしてもらう許可をもらいました。

会社には忙しくて体調を崩したということにして、休日出勤や時間外の仕事はできるだけ控えたいと話して了承をもらいました。

(時短で採用されてるのに休日出勤とか時間外の仕事を控えたいと話すってどういう状況やねん)

ストレス云々の話はさすがに言うのがためらわれて言えませんでした。

仕事を自分のペースで進めたいのは私の性格のせいだから、主張していいのかどうかがわからなかったのです。

私以外の他の人は良くも悪くもルーズで、その日にやりたかった仕事が終わらなくても気にならない性格だということもわかっていたので、より一層言いづらかったです。

薬を飲んで胃の痛みは少しずつ落ち着いていきましたが、仕事は相変わらずやることが多くて雑務で1日が終わるモヤモヤを抱え続けていきました。

転職したけど環境よくなるどころか悪化したな、やっぱ間違ったかな、、と後悔する日々でした。

そんな私に前を向くきっかけを与えてくれたのが、学生インターンの女の子との出会いでした。

次に続きます。

人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話⑪

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この記事を書いた人
rakkomom

35歳、零細企業で働く時短ワーママらっこです。
7歳の息子と0歳の娘、長時間労働夫の4人家族。
読書記録、キャパ狭のワーママが倒れずに生きていくための工夫を書いています。

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