人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話④

失敗談

前回からの続きです。

最初から読む方はこちら↓

人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話①

人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話②

人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話③


私自身も少しずつ仕事が重くなっていくなかで、土日に夫が家にいないワンオペでのワーママ生活は予想以上に辛いものでした。

実の両親はすでに他界していたし、夫の両親は遠方で、助けは期待できない状況です。

毎日「もう無理かも」「もう辞めよう」と思いながら、その日、その週を生き延びる日々でした。

子どもはふたり欲しいとはぼんやりと思っていたけど、いざ作ろう!とは到底思えないまま時間だけが過ぎて行きました。

親が生きていれば。義実家がもっと近ければ。夫の会社がブラックじゃなければ。私のキャパがもう少し広ければ。無理してでも1社目で働き続けていれば。

考えても仕方ないことばかりを考えたり、後悔ばかりしていました。

ただただしんどい毎日から逃げたくて、心身共にボロボロでした。

誰かに話を聞いてほしくて、心療内科に行ってみようかなと思ったけど予約がいっぱいで受診すらできず。泣き崩れたこともあります。

けどここで辞めたら、子どもがいる状況での再就職は厳しくなるとわかっていたし、保育園を出て行かなきゃいけないし、辞めるのは得策じゃないってことは誰よりも自分がわかっていたから、なんとかだましだまし働き続けました。

負けたくないという気持ちもすごく強くありました。

身近に頼れる人がいたり、旦那様としっかり二人三脚できているような「自分より恵まれている人」に負けたくないというよりも、自分自身に負けたくないという思いがあったんです。

自分のキャパが小さいのはわかってる。身体が強くないのもわかってる。全部をがんばるのは無理なのもわかってる。

でも可愛い息子とちゃんと向き合って育てながら、家事もやりながら、自分の仕事のやりがいも追いながら、いつか大企業にいた過去の自分を収入でも超えたい。いや超えてみせる。

そんな目標を達成できるかどうかの自信がなくて、口にするのも怖くて、誰にも言えなかったけど。ずっと、心の中でこっそりと思っていました。

ワーママ生活の中でいちばん辛かったのは、会社の新しい事業にアサインされたと同時に、社長命令で欧州との超急ぎプロジェクトが始まってしまったとき。

通常の業務も行いながら、新しい事業と超急ぎプロジェクトを回さねばいけない状況になりました。

もちろん勤務時間は6時間半のまま、変わりません。

特に新しい事業をどうやって手掛けていけばよいかもわからず手探りでやっている中で、時差のある欧州との仕事を進めていくのは私のキャパでは本当にしんどいことでした。

欧州は、時短の私が帰る頃にようやく朝になります。

欧州との急ぎ仕事があるということは、必然的に子どもを寝かしつかせてからメールチェックしないといけないということでもありました。

早く子どもを寝かしつけてメールチェックしないとと焦れば焦るほど、子どもがなかなか寝ない。

「なんで寝ないの!?」とイライライライラ。イライラする自分にもイライラしたりして。

話を聞いて欲しい夫はいつも家にいなくて、家にいたとしても疲れ果てて寝ているばかりでした。

私はワンオペなことにイライラしているし、夫は睡眠不足でイライラしているし、夫婦仲はどんどん険悪になり、話せばケンカばかり、という嫌な感じになりました。

この頃、話を聞いてくれる人の存在がすごく重要なんだなと痛感しました。

大変だねって言ってくれるだけでいいのに。寄り添ってくれるだけでいいのに。って毎日思っていました。

お昼の時間も削りながら、寝かしつけた後の夜の時間も使いながら、なんとか目の前の仕事を片付けようと必死だった私。

忙しい日々が2ヶ月ほど続き、仕事と家事育児のバランスを自分のなかでうまく保てなくなったある日、スムーズに寝てくれない息子を前に、大泣きしてしまいました。

「もう嫌だよー!疲れた!」

布団に顔をうずめて、本当にエンエンと大泣きしました。

息子はキョトンとしつつ心配そうな顔で、泣き続ける私を見ていました。息子の前で泣いたこと、あれが生まれて初めてだったかもしれない。

さすがにそのときばかりは精神的に限界だと思って、まだ会社で残業中だった夫に電話しました。

「もう疲れた。辛い。明日会社で上司に仕事を減らしてもらえるように話す。ダメだと言われたら辞める」

大泣きした翌朝、上司に相談して仕事を減らしてもらえることになりました。

超急ぎの仕事はそのままやり続けないといけない状況でしたが、新しい事業を別の人に移してもらえることになりました。

新しい事業をやりきれなかったことで社内での評価はマイナスになりました。無念でした。でも、あのままやっていたら、いつか突然会社に行けなくなってしまうかもしれなかった。

いちばん大切な家庭と自分の心を守ることができたので悔いはありませんでした。

今にして思えば、ふたつの仕事が一気に乗ってきたときに、実は「これはキャパオーバーだな」と思ったんです。あのときの感覚を信じて、仕事を受ける前に「無理です」と言ってしまえば良かった。

「期待してもらえているならやりきらなければ」っていう、幼い頃からの悪い癖が出てしまったのでした。

時短で働き続けていることへの言葉にできない焦りや、実力で大企業にいた頃の自分を超えたいという思いからの焦りもありました。

たぶん、これくらい乗り越えられなきゃ成長できないんじゃないか、っていう怖さがあったんです。

いくら人事に「時短での昇進は前例がない」と言われても、時短でもしっかり結果を出せば待遇がよくなるんじゃないかって思いたかった。

チャンスをモノにしなきゃ、っていう気持ちが強かった。

でもこの出来事で精神的に限界を迎えて初めて、心の中ではっきりと優先順位を付けられました。

今のこの自分の環境では、仕事にも没頭するのは無理だ。仕事は諦めよう。いま仕事をセーブすることでキャリア的に遅れをとっても仕方ない。いまは家庭と自分を大切にしよう。

そう思えるようになりました。

自分のキャパの限界を感じたことは残念ではあったけど、仕方ないとも思いました。

やれるだけのことはやった。それでもだめだったということは、今の自分には無理だったんだなと。

それと同時に、自分は「仕事と家庭と自分の時間のバランスが崩れたときに、大きくモチベーションが下がる」ということも学べた出来事でした。

そこからは、だんだんと「どうしたら倒れずに心も折れずに、バランスを保ちながら働き続けることができるか」を考えるようになりました。

私は自分の話を聞いてくれる相手がいないことがストレスになっている状況だったから、自分の気持ちを吐き出せる先が必要だと思うようになったんです。

それで始めたのがこのブログです。

私が育休から復帰したての頃に読みたかったような、ワンオペワーママとして前を向いていけるようなブログを書きたいと思いました

今は少し状況も変わってきているけど、私が疲れ果てていた当時(4年ほど前)は「ワーママ ブログ」で検索してヒットするのは、心を病んだワーママさんのブログばかりでした。

私は「ワンオペワーママ生活はこうやって乗り切ってる」とか「頼れる人はいないけど、こうやってキャリアを積んでる」みたいな前向きなブログが読みたかったのに、検索してヒットするのはヘトヘトに疲れてワーママを辞めてしまった人ばかりでした。

それがワーママの現実なのかもしれないけど、当時の私にはもう少し希望が欲しかった。

だから自分で「辛いこともあったけど、ここから乗り越えて、あのときの判断は間違ってなかった」という過程を書いていこうと決めました。

当時、ブログを書くことは自分自身の救いにもなっていたと思います。

今の自分のこの辛さをブログに書くならどう書こうかな?と考えていると、後ろ向きな気持ちが少しずつ前向きな気持ちに変わっていってくれたから。

「この出来事からどんなことを学べた?」
「少しでも楽になるためにどんな工夫をした?」

と考えられるようになったのは、大きな変化でした。

ワンオペワーママ生活にも少しずつ慣れてきて、ようやく2人目が欲しいと思えるようになったのは、息子が3歳を過ぎたころでした

このタイミングで授かれれば4歳差だなというところでうまく授かることができました。

仕事もできるだけセーブしながら生活をしていたところ、妊娠6ヶ月で、赤ちゃんの心音が止まっていることが判明しました。

悪夢かと思いました。


次に続きます。

 

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