人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話③

失敗談

こちらの記事の続きです。

人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話①

人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話②

精神的に限界で1社目を辞めた私は、半年ほど専業主婦をしてから、恐るおそる就職活動をはじめました。

2社目は、自分の気持ちで選ぼうと決めていていました。

このときの就職活動は、私の進路への大きな影響力を持っていた母を失ってから初めての、自分で自分の道を決めるタイミングでした

母が生きていたら相談したかったなと思ったことは数え切れないほどありました。

でもこれは今まで人や世間の評価を気にして物事を決めてきた自分が変わるための試練なのかもしれないなと思う気持ちもあって、前向きに取り組めた気がします。

この頃から初めて「自分は本当はどうしたいのか」「周りの意見はそうかもしれないけど、私の意見はどうなんだろう?」と自分の頭で考えるようになりました。

思春期から社会に出るまでの10年、自分の頭で考えて生きてこなかったツケは大きかったです。

受験勉強の弊害かもしれないけど、無意識のうちに「正解」を探す癖がついていたんですね。

人生にも仕事にも正解なんてなくて、あるとしても最適解くらいじゃないですか。

なのに「誰かに答えを教えてほしい」というマインドからなかなか抜け出せずにいました。

いちばん難しかったのが、今回のテーマでもある「自分の希望する生き方」を見つけること。

そもそも自分の希望っていうのがはっきり出てこなかったからです。ぼんやりとはあるような気もするけど、よくわからないというか。そんな感じでした。

仕方ないので見えている僅かな「やりたいこと」と、1社目でわかったたくさんの「やりたくないこと」から、2社目を探すことにしました。

「やりたいこと」は、雑貨に関わること。

「やりたくないこと」は、やっていて意味があるのかわからない仕事、形式的で実のない仕事、楽しくない飲み会に参加すること。

私は1社目のときの経験から、事業規模や社会的地位でモチベーションが湧くタイプではないということがよくわかっていました。

だから、わかりやすく社会への貢献が見える仕事の方がいいのかもしれないと思うに至りました。

そこで2社目は自分が好きなものを取り扱っている会社で、自分の仕事がわかりやすい形で目に見える仕事ができる会社を選ぼうと思いました。

ほどなくして、第一希望だった雑貨を作る会社への就職が決まりました。たまたま事務を募集するというタイミングでした。

晴れて念願の雑貨の仕事に関われることになった私。

採用されたのが事務職だったのもあり、給料は半分くらいになりました。

でもしばらく働いていなかったからこそ、仕事ができること自体が嬉しかったし、ずっと関わりたかった業界に関われるのがとにかく嬉しかったです。

最初は事務として宅配便の伝票を書いたり、簡単な書類を作る仕事から始まったけど、だんだんと色々な仕事を任せてもらえるようになっていきました。

入社して半年ほど経った頃、今でも恩師と慕っているほどお世話になった当時の部長から「事務だけじゃなくて雑貨を作る仕事もしてみないか?」とお声かけをいただいたのをきっかけに事務を卒業し、雑貨を作る部署に異動になりました。

実は私は2社目では、1社目の話をしたことがありませんでした。

実力だけで自分を認めてもらいたかったからです。

大企業に勤めていたという事実はわりとパワーがあるということを、就職活動中になんとなく感じとりました。自分のやってきたことが3割増しくらいで受け取られているのを感じていました。

その事実は就職活動をしているときにはありがたかったけど、会社に入ってからは要らないと思いました。単純に、色眼鏡で見られるのが嫌だったんです。

当時の部長は私のバッググラウンドを何も知らない人で、私の仕事ぶりだけを見て職種転換を提案してくれたのでした。

その事実がすごく嬉しかったです。

1社目で「こんな仕事、誰でもできる」とモヤモヤして自分の仕事に自信がもてなかった私が、2社目で初めて自分の仕事を評価もらえたことは、自分の自信にもなりました。

私は英語が得意だったのもあり、いきなり海外とのやりとりを任せてもらえることになりました。

素人としてのスタートで最初は大変だったし、ミスもたくさんしたけれど、先輩に教えてもらいながら少しずつ仕事を覚えていきました。

自分が作った雑貨が街に並んでいるのを見るのはすごく嬉しくて、初めてやりがいというものを感じることができたように思います。

そんな風に「仕事って楽しい」と思えるようになったのは、2社目に入ってからでした。

その会社で息子を妊娠・出産し、1年弱の育休を経て職場復帰しました。

私の妊娠と前後して、夫も新卒から10年ほど働いた大企業を辞めてベンチャーに転職しました。

夫がもといた会社も恵まれている環境だったけど、夫はこのままこの会社にいたら身動きが取れなくなるんじゃないかという不安を抱えていました。

その不安はよくわかりました。

大きな会社にい続けることは、今は良くても、長い目で見たら得とは言えないだろうというのが、夫婦共通の認識でした。

50歳近くなって会社から一方的に減給を突きつけられたり関連会社への出向を命じられても、「他の会社に転職する勇気はないから、多少給料が減ってもこの会社にしがみつくしかない」って言っているおじさんたちの姿をたくさん見てきました。

とても他人事だとは思えなかったし、私は自分の夫にはそうなってほしくないと思いました。

目先の収入は減るかもしれないけど、会社にこだわらない生き方を模索していった方がいいはず。

そう思っての転職でした。

夫婦そろっての転職した結果、世帯年収は2/3くらいに減りました。

一気に2/3に減るのはキツかったです。膨れ上がった金銭感覚を調整していくのがしんどかった。

でもその分「ここから自力で稼いで行くぞ」と決意することができました。

大企業にいなくても稼いでいけることを自分達で証明したい。そんな気持ちでいっぱいでした。

ただ想定外だったのは、夫が転職したベンチャーの会社が完全にブラックだったこと。

ブラックというかもう漆黒で、年間休日数が30日もなかったんじゃないかくらいにずっと働かされていました。

普通に土日も仕事なので、夫が家にいません。

私は育休から復帰してから時短勤務を取らせてもらっていたけど、責任も重く常に忙しい日々でした。

職場では会社の将来性に疑問を抱いての退職者がちらほら出てきていて、残った人の仕事の量を引き受けなければいけなかったのもあって、仕事はどんどん増えていく一方でした。

もともと1社目の半額になっていた給料が、時短勤務になったことでさらに2/3くらいまでガッツリ削られて、「これ、パートかな?」みたいな額になってしまっていました。ボーナスもない会社でした。

会社の風土として、だらだら残業する人はたくさん残業代がもらえて、早く終わらせる人はだらだら残業できる人よりも給料が少ないという日本企業的な給与体系だったので、残業できない時短勤務は成果に関わらずガッツリ削られるしくみになっていました。

ちょうど人事の人と話していたときに、「時短での昇進は前例がない」と言われていたのもあり、少しずつモヤモヤが積み重なっていました。

ずっと雑貨に関わりたかったからこの仕事に転職できたことはすごく嬉しかったし、仕事内容自体は得意で楽しいとも思えていました

ただ、どんなに仕事をこなしても、無限に残業ができる人にはかなわない。ママになってからそんな絶望をひしひしと感じるようになりました。

同じ会社の同じワーママでも、「昇進してから出産した人」はもとのベースが高いので、時短になってもそこまで削られていなかったようでした。

それに対して私のように「昇進する前に出産してしまった人」は、ベースは低いままで、昇進も期待できず、ただただ忙しい毎日をこなしていくという、いわゆるマミートラックに入ってしまっていました。

この段階にきてようやく、出産したあとの給与や待遇のことまで深く考えず、勢いで中小企業に転職したことが浅はかだったかなと感じるようになってきました。

続きます。

人生の底を脱して、ようやく自分の望む生き方が見えてきた話④

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